夜桜を眺めながら


 八分咲きの夜桜を、呆っと眺めていた。
 季節は五月。ゴールデンウィークを終えてようやく、北海道は桜の季節を迎える。したがって花見という行事は、新人歓迎の意味を兼ねる本州のそれとは少し趣を異にするものだ。ようやく堅苦しさの抜けた各人が、わきあいあいと桜と酒を愛でる。どちらかというと僕は、こちらの花見の方が好ましいと思っている……この、五月とも思えない寒風を別とすれば。
 桜前線という言葉が春の到来と同意に扱われるのは、桜という植物が気温の上昇に反応して花を開かせるからだ。である以上、沖縄でも東京でも北海道でも、花見の温度は大差ないはずである。
 理不尽な寒さを感じるのは、つまるところ、十八までを本州で過ごした僕の主観によるものなのだろう。五月のイメージと肌で感じる感覚の齟齬が、過剰な印象を生む。それは何かに似ているねと思い、桜の幹に身を預けながら肩をすぼめた。
 ちなみに、冬の花のイメージが強い梅も、暖かさに反応して蕾をほころばせる。反応する気温が桜より幾分低いわけだ。ところが、四月半ばから一気に暖かくなるこの北国では、初春と盛春は同時に訪れる。その結果が、眼前のシュールな風景をもたらしてくれる――すなわち、目の前に広がるピンクと白の揃い咲き。東京辺りのエセ詩人なら大いに憤慨しそうな光景を、北海道民は「賑やかで良い」と笑う。
「……この、風情を知らぬ奴め」 一人ごちた。
「んー、なんか言った?」
 幹の向こうから、にゅっと突き出た顔がそう言った。不意打ちに慌てた分、返す言葉の口調は少し辛辣になる。
「ああ言ったよ。折角の夜桜だぞ、酒ばっか飲んでないで少しは花を楽しめ、この無粋漢」
「なーに言ってんのよ、花より団子ってゆーっしょ」
 赤くなった顔であははと笑う。整った顔立ちが接近し、くしゃっと崩れた……奇襲に次ぐ正面突破、ここは撤退して陣容を立て直すべきだと脳内参謀が警告するが、司令官たる僕はせめて一矢報いてからでなければ面目が立たんといきり立っている。待て待て、それは典型的なやられ役――しかもかなり序盤の方で消える――の思考だぞ。無理矢理そう思い直し、顔を背け「ふん」と突っぱねた。せめて中盤の山場くらいで、それなりのセリフを吐いて退場したいもんだよな。そんなことを考えながら、見上げる夜桜に神経を集中させる。たいがいのことはすぐ顔に出る僕だが、ことこういう方面の演技力だけは実力派なのである……情けないことだが。
「なーんかブスッとしてるよねー、君って。花見なんだから話そうよ」
「花を見ると書いて花見だろ。僕は文字通り花見をしてる訳だが」
「折角みんな集まったんだよ、話さないと勿体ないっしょ?こういうの、えーっと、そうそう、一期一会って言うんじゃない?」
「一期一会って言うんなら、この花とは今宵限りの縁だよ。みんなとは明日も来月も会えるさ」
「ふーんだ、つまんないの」
 ふて腐れた顔でこっちを睨み付けた。そして、一呼吸おいて、一言。
「この、とーへんぼく」
 そのまま、向こうのシートに歩いて行った。フラフラした危なっかしい足取りを視界の隅に収めた僕の頭は、フラフラというより、むしろグラグラである。最後の一単語が、左右から僕の脳をぐわんぐわん揺すり続ける。
 【唐変木】:気がきかない人物、偏屈な人物などをののしりあざける語。わからずや。まぬけ。
 いや事実、僕はそうであろう。そのことに異論はないというか、反論の余地は無い(重ねて、情けないことだが)。問題はその意味でなく、意図であり。
 仮説1. 酔っぱらいのタワゴトであり、意図はない
 仮説2. 何か、他の言葉と言い間違えた
 仮説3. 唐変木という言葉の意味を完全に取り違えている
 そして最後に仮説4. ……
「あー、やめやめ!」
 思いっきり頭を左右に振った。ほろ酔い程度だったアルコールが一気に脳味噌を浸食する。そのままの姿勢でずるずると崩れ落ち、桜の根を枕にする形で横になった。とりあえず、頭を冷そう。
 寝そべる僕の顔に、花びらがふらふらと舞い降りてくる。額に張り付いた一枚をつまみ上げ、夜空に透かしながらぼんやり眺め続けた。
 夜の桜は、昼見るよりも綺麗だなと思う。太陽光から免れる夜の世界は、基本的にモノトーンの世界であり、そして青や黒といったの寒色の世界だ。その中で、桜は色褪せながらも艶やかな暖色を醸し出す。昼の桜は綺麗で暖かいけれど、夜の桜は綺麗で暖かく、その上、妖しい。夜と桜との落差、そして、昼桜と夜桜との齟齬。それが僕の目を曇らせるのだろう。
 やや酔いの醒めた頭を傾け、盛り上がっている一座、正確に言えば、その中ではしゃぐ彼女をぼんやり眺めた。雪国の民らしい白い肌は、夜桜によく映えていた。
 冷静に判断するなら、十人並みといったところだろう。ただ、無遠慮寸前の性格と丁寧に櫛ずられた長髪は際立っていた。それは、僕の在籍する野郎共の巣窟――理系大学の研究室――の中で、一際目立つ存在であることに十分な理由である。
 最近遠距離恋愛を終えたという風の噂だが、もちろん面と向かって聞くような度胸を、僕は持ち合わせていない。そのうち誰かがアプローチをかけ、その結果さらなる情報が人づてに伝わってくるだろう。あるいは、その無遠慮な誰かさんとくっついた、なんてオチが付くかもしれない。まぁ、よくある話。
 無遠慮な誰かさん集団にエントリーする意気地のない僕は、その代わりに、このくらいの距離からぼんやり花を眺める権利を得るのだった。
 ぶんぶんぶん はちがとぶ。


 酔いもすっかり醒め、気が付けば、宵とはさすがに言い切れない時間になっていた。ガヤガヤと最後まで騒がしく、皆は宴の始末すら楽しんでいるように見える。
 そんなテンションに付き合うことも出来無い僕は、一人冷静に忘れ物の回収などをしてみる。それを見つけ、彼女がまた絡んできた。
「おー、花見を楽しんだかね青年!」
 紙コップを持ってニコニコしている。
「はいはい、片付けの邪魔になるからあっち行った」
 シートを畳みながら、片手をひらひらさせる。まったく、こういう無防備な笑顔は心臓に悪い。
「もー、ホントに最後まで仏頂面だね君は」
 頬をふくらせながら、ずいっと歩み寄る。勢いが良すぎて、綺麗な髪が僕の手をくすぐる……君のそういう言動が僕を仏頂面にさせているんだと、そう言えるものなら僕の人生はもう少し彩りに満ちるのだろうか。精進の足りない僕は取り敢えず、精一杯の努力で視線を逸らし鉄面皮を維持し続ける他はない。
「そんなつっけんどんにされると私、傷付くんだけどなー」
 口調がわずかに曇りを帯びたのに気付く。視線を逸らせている分、聴覚は敏感なのだ。おやと思って視線を戻すと、彼女の手にはコップが二つ。中身はオレンジジュースだった。
「なんだ、また酔っぱらいが絡んで来たのかと思った」
「ひどいなー、サポートさんに感謝しようと思って持ってきたのに」
 騒ぐ気になれず端でボンヤリしていた僕が、皆のお守り役に徹していると見えたようだ。まぁ、結果として酔っぱらい共の後始末を勤めたことは事実だし、好意的な誤解を有り難く受け取るくらいの余裕はあります……よね?
「……ああ、どうもね」
 前言撤回。もう少し気の利いた返事はできないのか、僕は。
 片手を出してコップを受け取る。口に付けようとして、ジュースが半分も入っていないことに気付いた。そのまま硬直し、視線だけを辛うじて移動させる。彼女は、ジュースが一杯まで満たされたコップを手にニコニコ笑ってこちらを見ていた。
 仮説1. 酔っぱらっているので、自分のコップと僕用のを間違えた。
 仮説2あぁもう、悪いのはイチイチ気にする僕ですか、それとも気にさせるこの娘ですか!?
 目を閉じて、勢いよくコップを傾けた。僕の覚悟を笑う奴は、馬に蹴られて死んでしまえ!


 騒がしかった宴もようやく終わりを見せ、一同はそれぞれの帰路に就いた。そしてお約束のように、僕の帰路は彼女と一緒だったりする。
 酔い覚ましの缶ジュースを片手に、ゆっくり道を歩いた。彼女が一方的に喋り、僕が短く相槌を打つ。先までの緊張はだいぶ解けたが、代りに襲ってきた、何とも言えないむず痒さを抑えるのに必死だった。具体的に言うと、眉と口端の位置を保つのに。
 いくら韜晦してみせても、所詮は僕も未熟な一男子に過ぎない。ちょっとした気まぐれ――偶然の、悪魔の、もしくは彼女の――でみっともなくも逆上してしまうことも十分起こり得るんだろう。そして,そこにさらなる気まぐれが待っているとしたら……? そんな未来の僕なら、振り返って今の僕を大いに笑うがいい。僕は苦笑と共に君を祝福しようではないか。でも今は待ってくれ、あと十歩で家に辿り着くから、それまで待ってくれ。今はこの、グラグラする頭を保つのに精一杯なんだ!

 心の中で残りの歩数をカウントダウンする。九歩、六歩、三歩……ゼロ。心の中で安堵と、ほんの少し無念の混じった溜め息を吐いた。息を整えて、別れの挨拶をかける。
「それじゃ」
「じゃあおやすみ、梅本春樹くん!」
 酔いの醒めたはずの頭に一気に血流が流れ込んだ。そこでフルネームは反則だろう、この悪魔!
 なけなしの気力で動揺を隠し、僕は返した。
「ん、おやすみ」
「むー、私が名前で呼んだのに、君が返さないのは不公平だよ」
「……おつかれさま、櫻井さん」
「五十点。名前は?」
「……」
「なーまーえーは?」
 じーっとこちらを覗き込む。ああもう、どうとでもしてくれ!
「おつかれさま、櫻井桜さん」
「よろしい!」
 満開の笑みで、桜がほころんだ。





※標題の画像は、東京発フリー写真素材集のものを加工して使わせて頂きました。感謝。
http://www.shihei.com/tokyo_001.html
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