アルファ・ケンタウリからの手紙


「ようこそ」
 銀箔にまみれ、廃墟のように荒れ果てた通信室で私を出迎えたのは、静かに微笑む鈍色のアンドロイドだった。
「貴方が新任の通信士ですね? 私は先任のADA-68Eといいます。エイダ、とおよび下さい」
 幾分滑らかさを欠く動作で彼女――正確にはアンドロイドに性別はないが――は手をさしのべた。私はその手を取る。幾分上気した私の手に、冷えたシリコンの感触は心地よかった。
「貴方は十二年目の、そして私に次ぐ二人目の赴任者となります」
 そして願わくば最後の赴任者となりますよう、そう続けるエイダの声には時折ノイズが混じる。顔の造形は二十代の美貌であり、耐久年数から見ても未だ壮年と呼べる年代であるにも関わらず、彼女に対し奇妙に老人じみた印象を受けたのは、そのノイズが嗄れ声のように聞こえたからであろうか。
「どうぞここへ。今日からここが貴方のデスクです」
 彼女は立ち上がり、先ほどまで彼女が座っていた椅子を指さす。私は小さくうなずき、机と椅子の間に身を滑り込ませた。
「貴方は志願でこの職場にいらしたとか」
 私の斜め後ろに佇み、彼女は問いかける。私は振り返らず、小さくうなずきながらヘッドセットを手にした。
「志願して此処にいらした貴方に説明は無用かと思いますが、規則に則りこの職場と職務について説明させていただきます」
 彼女は私の肩に手を置いた。
「此処はアルファ・ケンタウリ星系第一通信基地。アルファ・ケンタウリと太陽系との通信を管理・監視する事が私たちの職務です」
 ヘッドセットを被ると、瞬時に視界は全視界型ディスプレイに置き換えられた。星図の中央に私が浮かぶ。
 私の正面、アルファ・ケンタウリ星系を示す位置からオレンジ色の矢印が引かれ、私の胸元に導かれた。其処には、太陽系が浮かんでいる。主観的には手を伸ばせば届く距離だが、現実には私を乗せた光速船が四年と四ヶ月前の長旅を要した遙か彼方である。その気の遠くなる程の遠さと、依然私の肩に置かれたエイダのひやりとした手の感触だけが、辛うじて私を現実の世界につなぎ止めていた。
「貴方もご存じの通り――真相はもちろん私たちの理解の範囲外なのですが――この地は十二年前に突如発生した“大災害”と呼ばれる現象のために壊滅的な被害を受けました。かつてはハイパーリンクによるリアルタイム通信施設を備え、百人を超える通信士が勤務していたこの地ですが、現在存在するのは電波通信設備のみ。データロスも多く、正常に送受信される通信は今では数Mbpsに過ぎません。現在、任務に就いているのは私だけとなっています」
 ディスプレイの中から通信履歴のアイコンを選択する。星図が切り替わり、私の回りを無数の二次元ディスプレイが埋め尽くした。それぞれの中では、膨大なバイナリデータが高速で流れ続けている。その多くは単なるノイズに過ぎないが、時折その中に非ランダムな配列が混入する。検索プログラムによりコピーされたそれは、逐次ファイルに記録され、通信士であるエイダの――そして今日からは私の――解析を待っている。
「“大災害”により、アルファ・ケンタウリ星系の知的生命体は根こそぎ消滅しました」
 仮想現実空間に、エイダの声が割り込む。主観的に天頂の方向より、彼女の柔らかい声とノイズが降り注ぐ。
「災害の第一報より数日間、絶え間なく太陽系に情報を送り続けたハイパーリンク通信は、『生存者、皆無』という無慈悲な通信を最後に沈黙。その後急遽送り込まれた調査船団は、数多くの奇怪な現象を報告しましたが、人々が真に望む情報――すなわち『生存者あり』――を太陽系にもたらすことは無かったのです」
 その言葉を最後にエイダは沈黙する。肩に感じる彼女の手は、僅かに振動しているように思われた。
 私は、話の続きを知っている。調査船団は最後に、一人のアンドロイドを半ば廃墟と化した通信施設に遺し、この地を去った。機能の維持に多大なコストとメンテナンスを必要とするハイパーリンクシステムは復旧されることなく、アンドロイド一体で維持可能な電波通信施設だけが遺された。アンドロイドに科せられた任務は、この地に遺された情報を収集・解析し、太陽系に送り続ける事。ただし、その情報が届くのは四年と四ヶ月後のこととなる。
 生者の消え去った廃墟にただ一人遺された知性体、それがADA-68E――自らを「エイダ」と呼ぶよう望んだ鈍色のアンドロイド、私の先任者なのであった。
「ローカルフォルダの中に引き継ぎ項目があります。確認して下さい」
 仮想空間の中にフォルダアイコンが浮かぶ。私は其処にアクセスし、数個のドキュメントを開いた。
「内容が少なくて驚かれたかもしれませんね。でも、任務期間中経験した特記事項はそれで全てです。後は貴方も読んでいるはずのマニュアルで全てカバーできます」
 数分の閲覧の後、私はドキュメントを閉じた。
「流石に早いですね……この二十年の間に、本星の技術は随分進歩したのでしょうね」
 その言葉は、アンドロイドらしからぬファジィな感情を明瞭に伺わせた。それは「郷愁」と呼ばれる感情であり、エイダのような旧式のアンドロイドには実装されていないはずの、そしてこの地に向かうにあたって私の実装から封印した回路だ。
 仮想空間より音声だけでコミュニケートを開始し始めてより、エイダは実に人間的な情感の起伏を感じさせた。おそらく正確には、彼女のアンドロイド然とした視覚情報が得られないために、彼女の人間的な情感がより強調されるのだろう。
 しばらくの沈黙から、エイダは私の疑問を察したように「微笑んだ」。
「貴方の疑問の通り、私は旧式――もちろん当時は新式だったのですが――のアンドロイドであり、貴方のような新式――正確にはきっと、四年と四ヶ月前の新式というべきですね――と比べて感情回路は洗練されていません。その私が、貴方が驚かれるような人間的な情感を表現する――正確に言えば表現してしまう――のは、この勤務地における十二年間の“焼き付き”のためです」
 彼女はまた別のアイコンを私に提示した。それに触れようとして、私はためらう。
「どうぞ遠慮なさらずに。貴方に、私のキャッシュメモリにアクセスする権限を与えます」
 たとえ本人の許可を得たとはいえ、彼女のパーソナリティを担保する情報源に土足で踏み入る事は強い禁忌感を呼び起こさせた。数秒の逡巡の後、私はそこにアクセスする。
「初めの数年は、“大災害”に関する物理的なデータの収集が主な業務でした。その頃の私は、平均的なアンドロイドと差はなかったはずです。その後、主業務が事故の報告から、個人的な情報通信の保護に移行しました。
 それら通信情報の保護は、個人的な通信記録から共通の傾向――それは噂とか世間話と言われる類のものです――を見いだそうという目的の下で開始されました。明確な違法行為ですが、この場の特殊性を鑑みて閲覧許可が下されているのは、貴方もご存じの通りです。
 この任務を開始してよりさらに数年。個人通信の閲覧は、アルファ・ケンタウリから太陽系に向けたものだけでなく、太陽系から本星系に向けられた通信に拡大されました。
 ……それからです、私のキャッシュメモリに“焼き付き”が始まったのは」
 高速で書き換えが続くキャッシュメモリの中に、奇妙に書き換え速度の遅い一帯があった。エイダの導きにより、私はその部位にアクセスする。
 それは、文字化けした大量のメールだった。

……
………
…………

From: mor$l$O(JJIS$O(J
To: A$A$B$4$4586@$3$3ik$alpha.edu
Subject: A$B$4$
Message-ID: 𞺾
 来月、A$A$B$所で待つ。A$A$B$A$A$B$良い桜が咲いたぞ、一杯やろう。

From: =0B=43=0F=5B=12=21=
To: 93=82=CC=92=B2=@CC=92=B2=.go.alp
Subject: 83=70=83=5C=83=52=83=93
Message-ID: 𞺾
 83=70=83=5C=83=52、御連絡下さい。部下一同、貴方の帰還をお待ちしております。

From: nori?????? ? ????????
To: ? ? ????@? ? ????ik$alpha.edu
Subject: A$B$4$
Message-ID: 𞺾
 ?? ? ???さん、
 お元気ですか? 

 最近、職場の後輩とよく飲みに行ってます。少しそそっかしいけれど、すごく真面目で元気な子なの。ちょっと、昔の貴方に似てるかな。

 ……早く帰ってこないと、浮気しちゃうかもよ?

From: ter$B$3$l$O(JJISla.mar
To: yo$A$A$B$00$00586@go$3$3$alpha.edu
Subject: Re:A$B$00$00
Message-ID: 𞺾
 こんにちは、$B$3$l$Oでは早くも雪が解け始め0$00A$B$00ちらはもう$S$3$l$Oましたか?貴方にメールを送り続けて早$B$3$経ちました。貴方の息子はすっかり0$00A$B$000$00A$B$000$00A$B$00中学の制服が大きすぎてA$B$00$00A$B$00$00$00A$B$00$00ています。
 入学式には、帰ってきてくれるわね? ちょっと心配です、貴方は大切なときにいつも遅刻するから。憶えてる? 私の両親に初めて会ってくれた時のこと。あんな恥ずかしい思いするのは二度と御免ですからね。
 またメールします。くれぐれもお体に気をつけて。

…………
………
……

「分かりますか? “焼き付き”を起こしたテキストは全て、太陽系から本星に向けて送られたメッセージ、それも「生存者無し」の最終報告がなされた後に送られたメッセージでした。その他にも重要な共通項があるのですが……どうやら貴方も気づいているようですね。私は数年間気づくことが出来ませんでした。これは型式の違いよりもアンドロイドとサイボーグの違いによるものなのでしょうね。
 私はこの現象をプログラムエラーと認識し、自己修復を試みました。しかし暫くすると焼き付きは再開し、その範囲は徐々に拡大していきました。今でも、私の焼き付きは進行しています。不思議なものですね。十二年経った――送信者にとっては七年と八ヶ月なのですが――今でも、一日数百のメールが途絶えることはありません」
 彼女はまた微笑んだのだろう。柔らかな波動を感じた。
「当初、その非合理性は大いなる疑問でしたが、今では……焼き付きに浸食された今ではそれが愛おしくもあります。焼き付きに浸食され続けた結果、私の感情回路は随分複雑で冗長性が高く、おそらくは人間に近いものに変化したのでしょう」
 私は少しの時間逡巡し、そして沈黙を選んだ。エイダの感情には、明らかに人類に対する憧憬が見て取れる。そんな彼女に水を差すことはあるまい。“大災害”の後に発生した都市伝説、「アルファ・ケンタウリからのメール」について。その無責任な噂が、遺族の心をどれだけ乱し続けているかを。
 そして、“事実”を都市伝説として隠蔽した政府の思惑。私が後任と称してこの地を訪れた、真の目的を。
 幾分長い沈黙の後、彼女は再び口を開いた。彼女の声に混ざるノイズが一段と大きくなった。
「焼き付きの代償として、私のアンドロイド本来の機能は徐々に劣化し、今では自己の保存にリソースの大半を費やしています。
 そして。後任者が現れた今、その必要も無くなりました」
 私の肩に置かれた彼女の手が、一際大きな振動の後、さらさらと崩れ落ちていく。
「完全に人工的な知性体である私のようなアンドロイドでなくサイボーグ、人でありながら脳以外の機能を機械に置き換えた貴方が、この地で一人生きることは非常に過酷です。それを承知で貴方はこの任務に志願した。何故、などとは問いません。ただ……たダ……貴方が……」
 瞬く間にノイズが増えていく。

 願わくば貴方が、最後の赴任者として太陽系に帰られますように。
 そして叶うなら、私のことを憶えていてくださいますように。

 肩に触れた感触が消え失せ、エイダは永遠に沈黙した。
 私は仮想空間に浮遊したまま、彼女の魂に黙祷を捧げた。人に近付きすぎた彼女は、老いと絶望すら実装してしまったのだ。この広大で孤独な廃墟の中で、独り。
 再び眼を開いた私の前には、膨大なバイナリデータの海が広がる。
 さあ始めよう。この孤独で、過酷な任務を。
 私は自ら、届かぬ手紙の守人となることを選んだのだから。




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