とある始まりのエピソード


「あーあ、何やってるんだろ私……」
 田舎に向かうおんぼろバスに揺られながら、私は本日三十八回目になるセリフを吐き出した。
 バスは、緑以外何もない山道をごとんごとん登っている。停留所が近づいてくるが、バスは止まる素振りも見せない。そりゃそうだろう、停留所に人影は無く、バスの中には乗客が一人だけ――つまり、私の貸し切り状態である。その私は、最後部の座席にどっかと腰を下ろし、延々愚痴を繰り返している。
 先に弁明しておこう。私は今、不機嫌である。頭に「超」の一文字を加えても良いくらい、不機嫌である。原因は二つ。一つは未だに頭痛の収まらない二日酔いであり、もう一つは今日の撮影旅行をドタキャンしたタイラである。いや待てよ、私がこんなに深酒したのもある意味タイラに腹を立てていたからで、そうするとこれはぜんぶ奴のせいじゃなだろうか――そんなことを考えて、私の不機嫌度はさらに上昇した。
 ドタキャンは残念ながら、タイラのせいではなかった。写真部の副部長なんてガラにもない肩書きを背負っている奴は、今頃は締め切り直前の部長の仕事を手伝って暗室に籠もっているのだろう。『残念ながら』と言ったのは、この件に関してタイラに非が無いから。これがタイラのミスだったりしたら、むしろ今私は上機嫌かもしれない。
「だいたいさぁ、今回のは完っ璧に部長のミスじゃない。コンクールに写真出すのは部長だけなんだし、点数稼ぎなのミエミエだし、そんなだからあいつは後輩に軽く見られ……あたたっ!」
 延々と続く愚痴をたしなめるように、フェルトのすり切れた座席が私のお尻をはたいた。このおんぼろバス、シートのバネすら劣化しているらしい。未舗装路に差し掛かったとたん、ダイレクトに衝撃を伝えてきた。
「なにさ、年下のくせに偉そうな口きくんじゃないわよ」
 床を思いっきり踏みつけてやった。この位置で発する音が運転手の耳に届かないのは、とうの昔――もう六年も前――から確認済みだ。
 そう。今日の撮影旅行は、私の帰省も兼ねているのだった。久しぶりに顔を合わせたのに愚痴ばかりこぼし続ける私をなだめるように、バスはぶるぶるっと震えた。
 村民の祝福を一心に受けた誕生日から二十年、このバスは大きな事故もなく、街へ向かう村人と、家へ帰る村人を運び続けてきた。母は、幼い私と一緒にこのバスに乗るたびに聞かせてくれたものだ。
「ほら、このバスはね、りっちゃんより一つ年下なのよ。八月十八日が誕生日なの……おとなりのたいらちゃんと一緒ねぇ」
 タイラと同じ年同じ日に生まれた――それだけのことが親近感を抱かせるのに十分だった幼年期。その頃を過ぎてからもずっと、このバスには随分とお世話になったものだ。中学校時代三年間の足となってくれたのだから。
 そんな彼も、今日この日の路線廃止と共に長い勤めを終える。この勤勉な無機物に心があったなら、最後の乗客がかつての少女であることを憶えていてくれただろうか。そして、当時と同じように車内で愚痴と八つ当たりを繰り返す私を、「変わらないなぁ」と笑ってくれるだろうか。
「――ふん、どうせ私は相変わらずですよ」
 そう口を尖らせて呟く。
(タイラとは違ってね) 言葉にせずにそう続けた。
 カタカタカタ、と建て付けの悪い窓枠が笑う。
「なにさ、あんたはできの良い弟か? ガサツな姉で申し訳ありませんってか!?」
 私の駄々を載せて、バスは最後の坂道をのんびり登って行く。床を踏み抜く靴音はBGM。峠の頂上に向かって、バスはそのまま空を目指すようにも見える。
 ――この峠を越えれば、目的地はもう目の前だ。



 バスのタラップをとととんっ、と駆け下りた。
「ふええ……」
 目の前の光景に、私は目を丸くした。
「なるほど、こりゃタイラが好みそうな絵だわ……」
 昔よくしたように、標識の柱を支えるブロックに両足を乗せ、右手で赤さびたポールを掴んだ。そのままゆっくりと体重を預けると、ポールを軸にして体がぐるん、と時計回りに回転していく。視界の右端から、故郷の風景がゆっくりとスライドインしてくる。
 あぜ道を覆い尽くす、薄枯れたススキの葉。
 赤さびた看板を覆い尽くした蔦カズラ。
 藁葺き屋根の上で花を咲かせた、ナズナの小さな白い花。
 割れた窓ガラスの奥には、薄青い闇がうずくまっている。
 くすんだ人工色を背景にすることで、ありふれた緑がやけに鮮やかに映る。そして、その鮮やかさが逆に、朽ちた人工物の寂しさを際立たせている。
「……なるほど、これが廃村ってやつか……」
 くるくる回り続ける私の横を、バスがのたのたと通り過ぎていった。ぷわーん、と気の抜けたクラクションを置きみやげに、通りの向こうへと消えていった。
 バスはこのまま山向こうの町に向かい、その後、最後の復路を勤め上げながらここに戻ってくる。つまり、それまでの半日間が私に与えられた時間というわけだ。
 七周半回り終えて、えいやっとブロックから飛び降りた。
(おー、回ってる回ってる……)
 二日酔いのせいか久しぶりだったためか、私の三半規管は思いの外弱っていたらしい。あぜ道の真ん中でふらふらとよろめき、耐えきれずにぺたんと尻餅をついた。クスクス笑いながら右手を差し出し後ろを振り返り、
「あー、そっか……」
 私のテンションは一気に落ち込んだ。
「ちぇっ」
 のそのそと立ち上がり、空振った右手でジーンズをパンパンとはたいた。そのまま、停留所のベンチにどっかと腰を下ろした。
「面白くないなぁ……」
 背もたれに背中をあずけ、雲一つない青空を見上げる。
 名前の分からない小さな鳥が、視界の真ん中を通り過ぎていった。

 ◇

「だーかーらぁ! 中止ってどういうことよ!?」
 すっかり人気の絶えた写真部の部室に、私の咆吼が鳴り響いた。
「なんだ、血相変えて飛び込んできたと思ったら、用件はそれか」
 暗室から顔だけ覗かせたタイラは、苦笑いしながら机の上を指し示した。その指の先には、妙な形に膨れあがったA4封筒。
「残念ながら、優先事項が飛んできた」
 表には、乱雑な文字でタイラの住所氏名が記入されていた。そして、その上にでかでかと「速達」の赤い二文字。慣用句でも誇張でもなく、A4封筒の上半分を埋め尽くしている。そして、左の方に比較的(上の文字と比べれば、という意味で)小さな文字で、「速達」のハンコ。こちらが正規の印鑑であった。
 私はこめかみを押さえながら椅子に腰を下ろした。不覚ながら、無駄に達筆な朱書き二文字に毒気を抜かれてしまった格好だ。
 タイラは、相変わらずの苦笑と共に封筒を裏返して見せた。
「〆切は十九日消印有効、十八の午前中には戻るから少し進めといてもらえませんか! by篠原」
 宛名書き以上の乱雑さで、それだけが殴り書きされていた。中身はフィルムの山だった。
「……部長に言っといて。『速達の二文字は自分で書くものじゃありません』って」
 私はため息をついた。
「事情は分かったわよ。またまた好きこのんで部長のとばっちり食おうってわけだあんたは」
「まぁ、ね」
 タイラは、やれやれといった風に肩をすくめて見せた。
「このままじゃあ部長の作品、コンクールに間に合わないからね。うちの部今年はあんま実績出してないからさ、副部長としてはサポートに回らざるを得ないでしょ。 ……よっこらせ、と。このフィルム干したら一休み」
 飄々とした台詞と共に暗室に戻っていくタイラの様子が、妙に癪にさわった。
「まったく、建前ばっか上手くなって……」
 ぼそっと呟く。その言葉がギリギリ奴の耳に届くこと、その言葉に奴が動揺するであろうこと、そして、躊躇った挙げ句に聞こえなかったふりをすること、全部計算の上での嫌がらせである。タイラが再び暗室に姿を消し、一人きりの部室に居心地の悪い沈黙が漂った。
「……それで、」
 沈黙に耐えられなくなったのは私の方が先だった。絵に描いたような自爆って奴である……いや、痛み分けだからこれはむしろ自爆テロか?
「他の部員は? 誰かに押しつけるか、そこまでしなくても手伝ってもらえれば? そうすれば旅行に間に合う可能性もあるでしょ」
 暗幕の奥に向かってそう問いかけた。
「あいにくと、手の空いている奴が居なくってさ。」
 暗室から幾分くぐもった声が返ってくる。そのまま次の言葉を待つこと十数秒、暗幕をめくってタイラが現れた。暗幕で手を拭ってから、机に転がっていた赤ペンを拾った。そのまま壁際のホワイトボードに歩いていく。
「橘と飯野は帰省中、相馬も撮影旅行で当分戻ってこない。沖は教育実習で無理」
 同期の名前を読み上げながら、スケジュール表となっているホワイトボードに一つ一つチェックを入れていった。
「――で、二年一年はみんなバイトで忙しいんだとさ」
 そこから下の欄は赤線で一気に消していく。タイラの口元が皮肉気に歪んだ。
 不機嫌なままの私の方を振り返りもせず、タイラはそのままカレンダーの今日、十七日の欄に大きく赤丸を記入した。次に十九日を塗りつぶし、二つを線で結ぶ。十八日の黒丸が赤線に塗りつぶされる。下の欄には、『野村・撮影旅行!』と小さく――しかし弾んだ文字で――記入してあった。
「撮影旅行は来月に回すことにしたよ」
「なによ、勝手に日程変えてさぁ。村は逃げないけど、同い年のバスはどうするの? あんたのお気に入りでしょ? それに」
 私の計画はどうなるの、思わずそう口にしかけ、慌てて飲み込んだ。ぎりぎりまで黙ってタイラを驚かせるつもりだったので、私の空振りに関しては文句を言っても意味がない。
「うーん……バスはもったいないことしたよなぁ。まぁ、でも本命の村は逃げたりしないしさ。あれもこれもって訳にはいかんでしょ」
「……あのさぁ」
 カラカラと笑ってみせるその演技に腹を据えかねて、私はタイラを睨み付けた。
「今日に限って後輩みんなバイトなんてあり得ないでしょうが。面倒な仕事あんたに押しつけて逃げてるの見え見えよ。部の業績とか言うんだったらさ、逃げてる奴とっ捕まえて働かせれば?」
「……毎度毎度、リツ姉ぇの言うことは過激だねぇ」
 赤ペンにキャップを被せながら、タイラは肩をすくめて見せた。
「口実付けて断るってんなら、捕まえて働かせても大した仕事はできんさ。恨み買うだけ俺が損する」
「それはあんたの写真より大切なことか、って聞いてるの!」
 思いっきり机を叩き付けると、ぼふん、と古びた机が気の抜けた音を発した。すっかり生意気になってしまったタイラは、怯むそぶりも見せない。
「分かってますよ。リツ姉ぇのリツの字は規律のリツだもんね……んで、俺の主義を承知の上でまたそういう話を蒸し返す訳だ」
「私が納得してないことを承知の上で、そうやってまたはぐらかそうとする訳だ」
 半眼でこちらを見下ろすタイラと、全力でにらみ返す私。先ほどのより数段気まずい沈黙が充満した。
 先に目を逸らしたのは私の方だった。
「……ゴメン。この話題はもうナシにするんだった」
 過去数回、私達はこの話題でシャレで済みそうにない程度の諍いを繰り返している。確かに私は、タイラに揶揄されたように融通の効かない面があったし、タイラはタイラで、人当たりの良い性格の癖に――というかその性格が行きすぎて――相互不干渉という主義を頑なに譲ろうとしない。そんなささやかな主義のために大切なものをあっさり諦めてしまうタイラの言動は、時として私を酷く苛立たせた。しかしながら、徹底的に平行線を辿ってなんら収穫を生み出さなかった過去の経験と、本当に絶交寸前までいった最後の一回を仲裁してくれた部長との約束から、私達はこの話題については口にしないことにしている。だから今回に関しては、蒸し返してしまった私に非がある。
「いや、あの……俺も言い方悪かったし。ゴメンな」
 タイラは私が怒っても飄々とした態度を崩さない癖に、私が凹むととたんにオドオドし始める。その様だけは昔のタイラそのままで……実を言うと、そういう奴を見ると私は少し嬉しくなる。言うと本気で嫌がるから口には出さないのだけども、それでも口元が緩んでしまうのは抑えが効かなかった。にへら、と笑い始めた私を見てタイラは「あー、またかよ……」とか呟きながらそっぽを向いた。
「なんならさ、代わったげようか? 実は明日のバイト……」
 今日と入れ替えになっちゃて、と続けようとした私を、けたたましい足音が遮った。その足音はドタドタと階段を駆け上がり、そのまま部室のドアを蹴破った。
「フィルムフィルムフィルム……いたー!」
 けたたましく開いた扉の音と共に、そんなセリフが飛び込んできた。息を切らせながら、それでも天真爛漫な笑みを浮かべているこの人が、口論のそもそもの原因、写真部部長たる篠原貴子さんである。
「え……っと、ずいぶん早かったですね」
 図らずも、私達二人の声がハモった。
「そーなのよー。あと半日頑張ろうと思ってたのに、気付いたらフィルム切れちゃっててさー。やることなくなっちゃったから予定繰り上げて帰って来ちゃったわよ」
 そんな台詞と共にカラカラと笑ってみせる。
「帰り道に考えてたんだけど、どうも送ったフィルムに未使用の混ざっちゃったみたいなのね。いやー、未使用のフィルム現像させちゃ勿体ない……もとい、申し訳ないでしょ。それで慌てて部室に戻ってきたわけ」
 それなら電話すりゃいいのに……と言いかけ、貴子さんが携帯を持たない主義なのを思い出した。これに関しては私も数少ない同志なのでとやかく言うつもりはないが、公衆電話で連絡を入れるという発想すら出てこない貴子さんにいつも私達部員は翻弄されている。この超マイペース部長に、この超個人主義副部長――かくして、私一人が部の現状と将来を憂えて不必要にカリカリするという図式が生じる、という次第。
「まぁそれはさておき、今回も結構な量撮っちゃってさ、毎度毎度ヘルプありがとね」
 上気したままの顔で微笑まれて、タイラの耳が瞬時に赤くなった。
「あ、いや、俺副部長ですしね……」
 タイラよ……とある方面に関してのみ、君は分かりやすいな。先の能弁はどこ行ったよ。
 そこでようやく、貴子さんは私に気付いたらしい。タイラの台詞もろくに聞かず、
「あー、律子ちゃんも手伝いに来てくれたの、うれしー!」
 私に向かって、文字通り飛んできた。あまつさえ、背中から私に抱きついてギュウギュウ頬ずりしてくる。毎度ながら貴子さんの愛情表現は直接的かつ強力で、不機嫌を決め込もうとした私の表情はついつい崩れそうになってしまうのだった。そして、目の前でみるみる萎れていくタイラの無様さよ……。こいつも、何遍繰り返しても懲りないよねぇ、面白いから良いけどさ。
「……あー、いえ、私はバイトの前に部室に寄っただけですから」
 不機嫌を継続する気力も失せ、かといって先の諍いの元凶たる貴子さんに笑顔を向けるのも気が収まらず、私は数瞬の葛藤の後に無感情を装うことにした。
「えー、律子ちゃんつれない」
 私の髪をワシャワシャかき回しながら、頬を膨らませて見せた。無防備な表情と上気した熱につられて、私まで赤面しかけてしまう。
 上機嫌と、無表情と、落胆顔。第三者がこの光景を見たら、どんな事情を連想するだろう……そんな埒もない事を考えていると、
「じゃれ合うのもホドホドにしときなさいよー」
 本当に人が入ってきて驚いた。
 扉から顔だけ覗かせているのは、貴子さんと同期の森田幸恵さんであった。貴子さんが五秒前には登場を察知できるのに対し、この人は気付くと背後に立っているという割と油断のならない人である。
「律子は今日私とバイトなの、遅刻したら私までとばっちり食うでしょうが」
 淡々と自分の都合だけ口上して、さっさと階段を下りていった。慌てて時計を確認すると、待ち合わせの時間を五分ほどオーバー。「げーっ!」などと乙女にあるまじき感嘆詞を吐いて、私は会釈もそこそこに幸恵さんの後を追いかけた。
「すいません、遅刻した上に迎えに来てもらっちゃって」
 階段を駆け下りて横に並んだ私を確認して、幸恵さんは呟いた。
「お、意外に早かった……もう一悶着あるかと思ってたけど」
 幸恵さん、感情を伺わせない淡々とした話し方をするので後輩からは敬遠されがちなのだが、これでいて結構ユーモアのある人だ。私はこの先輩を好いているから、腹を立てている様子が無いのを確認して私はほっと胸をなで下ろした。遅刻の代償がこの程度のからかいなら、甘んじて受けるべきだろう。
「……それにしても、私がここにいるってよく分かりましたね」
 先も述べたが、私は携帯を持たない主義である。そのおかげで、捕まえづらいと多くの部員からは不評を被っている。
「ああ、野村に聞いた」
「へ?」
「あんたが行方不明な時は、野村に聞くのが一番早い」
 幸恵さんは、ほれ、と携帯の液晶を私に示した。

 From:野村平
 Sub:Re>律子知らない?
 今部室で吠えてます。早く引き取りに来て下さい……

 送信時間から察するに、奴は暗室の中でこのメールを打っていたのであろう……私が怒り狂っているその隣で。
「な、あんにゃろ……!」
 その場でUターン仕掛けた私を捕まえて、
「ほらほら、戻って暴れる時間は無いよー」
「たーいーらーーー!!」
 暴れる私の襟首を引きずりながら、ポーカーフェイスの幸恵さんが珍しく笑い声を上げた。



「あーもー、ホントむかつく」
 アルコール臭い息を吐きながら、私は既にくだまきモードに入っていた。深夜まで長引いたバイトも終わり、「一杯飲むか」という誘いに乗ってやってきた幸恵さんのアパート。そして今、三本目のビールを空けたところである。
 こういう時一人でいると、昼間のやりとりを反芻してしまって精神衛生上非常に好ましくない。というわけで、幸恵さんの提案はとてもありがたかった。その恩人は今、私の対面で黙々と水割りを消費している。
「私は、あいつのはっきりしないところが嫌いなんです。あんな分かりやすい態度のくせに、隠しおおせてるって本気で思ってるとことか。言いたいことがあるなら本人に面と向かって言えばいいんですよ」
 拳を振り上げながら愚痴を力説する私の横で、幸恵さんはクツクツと笑い始めた。
「……私なんか、おかしな事言いました?」
 熱弁に水を差されて、少し不機嫌な私に向かって幸恵さんはこう言った。
「よく似てるわ」
「へ?」
「あんたと、野村」
「な……私のあのヘタレのどこが似てるって言うんですか!」
「さっきのあんたのセリフ、そのまま自分に返せるよ……気付いてない?」
 心底おかしそうに、幸恵さんは笑いながら私に問いかける。徹底的にポーカーフェイスの幸恵さんには珍しい反応だ。
「あんたも、野村に関してははっきりしないよね。『言いたいことがあるんなら本人に面と向かって言えばいい』んじゃない?」
「なんで、私がそこまであいつの世話見なきゃいけないですか……」
 私はブスッとふくれて、残りのビールを一気にあおった。
「なんていうかさ」
 幸恵さんのクツクツ笑いは止まらない。
「私としては、野村が貴子よりあんたとくっついた方が楽しいわけよ。噂に高い、『幼なじみの恋』ってやつを一度拝んでみたくてさ」
「やめて下さいよぉ」
 私は苦笑しながら右手をひらひらさせた。
「私とタイラはそんなのじゃないんですってば。だいたいですね、幼なじみ幼なじみってってみんなはやし立てますけど、実際そんなステキななもんじゃないですよ? だってさ、お互い鼻水垂らしてた頃の相手を知ってるんですもん、そんなの、実際の話引くって」
 赤ら顔で水割りをなめている幸恵さんに向かって、私は力説した。
「タイラなんか、半分いじめられっ子だったんですよぉ。泣きべそかきながら私の後必死で追いかけてたんだから。もう笑っちゃうでしょ? 私は私で、女がてらにガキ大将なんかやってましたしね。我ながら色気のイの字も無い少女時代ですよ、嗚呼、いと悲し」
「そんな情けない少年がいっぱしの青年となって君の隣にいるわけだよ……このシチュエーションにときめかないとは、君は世の少女漫画愛好家を敵に回す気か?」
 楽しそうに絡んでくる幸恵さん。どうやら、本格的に酒が回ってきたようだ。この人、本当に酔うと絡み上戸に変身する。もっとも、余程気を許さないと変身しないようで、私と一対一か、それプラス貴子さんという組み合わせでしかこのモードに入った幸恵さんを見たことはない。それはつまり、それ程度には私が信頼されている、ってことではなかろうかと勝手に嬉しかったりするわけで、だから私はこの人の絡み酒についつい付き合ってしまうのだ。
「なんて言うかなぁ……恋愛って、もっと強烈なサプライズ? みたいなのがないと無理だと思うんですよ、少なくとも私の場合は。やっぱ、予想外の不意打ちでドッキーン! みたいなのが必要なんですよねー。タイラなんかその点ムリムリ、もう互いの手の内ぜーんぶバレちゃってんだからアハハハ」
 既にうつらうつらし始めた幸恵さんを後目に、妙にハイテンションな私も結構酔いが回ってたのかもしれない。だから、幸恵さんが寝入る前に発した呟きにも何かの聞き間違いだったろう。
「野村もはっきりしないよねぇ、早いとこどっちか選べばいいのに……」
 うん、それはきっと空耳だ。
 空耳だけどなんか腹が立ったので、私は八つ当たりすべく幸恵さんのアパートを後にした。



「たーいーらー!」
 部室の扉を蹴破って、開口一番で私は吠えた。
 丁度休憩中だったらしく、くわえ煙草で呆けぇっとしていたタイラはギョッとした目で私を見た。
「おい……リツ姉ぇ、酔ってるな?」
 唖然とした表情で、タイラは呟いた。
「酔ってますよー? 酔ったついでに陣中見舞いですよー」
「静かに!」
 タイラは慌てて私の口を押さえた。モガモガと騒ぐ私に耳打ちする。
「今部長寝てんの! 頼むから静かにしてくれ」
 タイラの視線を辿ると、机に突っ伏したまま寝息を立てる貴子さんがいた。
「強行軍で戻ってきて、今まで休みなしに現像やってたんだ。頼むから休ませてやってくれよ」
 ようやく暴れるのを止めた私を解放し、タイラはほっと溜め息を一つついた。
「ふーん……で、あんた一人で残業中ってわけだ」
「まぁ、そんなとこ」
 貴子さんの方に視線を向けたままで苦笑する、タイラの横顔を横目で睨み付ける。
 ……まったく、無報酬かつ超過勤務のくせに嬉しそうな顔だこと。そんなことを思いながら、私も貴子さんの寝顔を眺めた。
 貴子さんは一言で言えば、さっぱりした美人だ。化粧気が少なく、その割に手入れの行き届いたセミロングの黒髪。ちょっと(時に、かなり)我が儘で自己中心的なとこはあるが、基本的には姉御肌な人で、欠点が嫌味にならない。なんというか、「タイラみたいなポジションの男の子が一発で惚れる要素」を見事に兼ね備えた女性だったりする。
 写真部に入って一週間で分かった。ああ、タイラは貴子さんに惚れるな、と。私の確信は入部後一ヶ月後に証明される――『でも私、平君より律子ちゃんの方が好きだなぁ』そんな衝撃の台詞と共に。
 念のため言っておくが、貴子さんは百合な人ではない。後輩の中で特別に気に入られている私(だから、そういう意味ではない)は知っているのだが、言い寄られる男子連中をかわすための、半ば演技なのだそうだ(半ば、という言葉が妙に艶っぽかったことは記憶の奥底に封印しているけども)。要は、部内で男女関係の波風を立たせないように計算して演技の出来る、その辺りは大人の女性なのだ。
 その後もタイラは、玉砕するでもなく他の子に目を向けるでもなく、なんとなーく貴子さんの周りをちょろちょろしていて、見ていて鬱陶しいことこの上ない。部長に対する態度がバレバレなのが(そして本人はそれを隠しおおせていると思ってる辺りが)後輩女子を主とした部員達からの評価を下げているが、そのことにも気付いてはいまい。その辺が、「律子の律は規律の律」と揶揄される私のキッチリ癖を大いに逆なでしてイライラさせるわけだ。
「タイラ」
 私はタイラの方に向き直ると、横柄な態度と口調で手を突き出した。
「旅券出しなさい」
「……は?」
「どうせあんたはこのまま二徹コースでしょうが。旅券勿体ないから、私が替わりに帰省しちゃる」
「……ってリツ姉ぇ、明日バイトじゃなかたっけ?」
「今日のバイトと入れかわったの。というわけで明日は暇」
「ああ、そうだったのか……現像無かったら明日一緒に帰省できたのになぁ」
 財布から旅券を取り出しながら、残念そうに呟く様がムカついた。
(あんたが初志貫徹してりゃそうなってたわよ)
 その言葉を何とか飲み込み、
「そら残念」
 と旅券をひったくり、きびすを返して、私はずかずかと足音を響かせながら部室を出ていったのだった。

 ◇

「さてさて、と」
 私はそんな一言と共に腰を上げた。このままベンチでバスを待っていようか、なんてネガティブなことを一瞬考えたりもしたが、さすがに馬鹿らしくて却下した。
 経緯がどうであれ、これは私の六年ぶりの帰省なのだ。見るべきところはいくらでもあるはずだ。
「まずは私んちでも見てきますかね」
 そんな独り言と共に、私はメインストリート(なんていう程のものではないが)を辿って行った。
 私が中学生の頃、村の唯一の産業であった小さな鉱山はすったもんだの末閉鎖され、既に村は息も絶え絶えだった。そこに目を付けたのが地元のゼネコンで、たいした反対運動も起こらないまま、気付けば私の村はダムの建設予定地となっていた。私の家は、私の中学卒業を待って街に引っ越した。
 まぁ、収入の激減した村の人にとって立ち退き料はむしろ救いだったろうし、そのおかげで私もこうやって県外の大学に進学して不自由なく生活している訳で、そのことをとやかく言うつもりはない。ただ、その後のバブル崩壊とか環境保護運動とかゼネコンがらみの汚職とかが重なって、その後何の目的もなく故郷が放置されてしまった事に関しては、何というか――肩すかしを受けたような、そんな感慨を受けたことを憶えている。
 懐かしい景色を眺めながら、私はゆっくり歩みを進めた。強い日差しが、廃屋の上にくっきりとした樹木の陰を映し出している。
「なるほどね……」
 この時期を選んでここに来ようとしたタイラの意図が、少し分かった気がした。
 タイラは、真逆のものを一つの枠に当てはめる、という構図を好む傾向があった。綺麗なものと汚れたもの、明るいものと暗いもの、新しいものと古いもの、幸福そうな笑顔と無表情の横顔……といった具合に。それはしばしば、あざとすぎて「若いねぇ」などと揶揄される類の写真ではあったが、タイラはこのテーマに強い思い入れがあるらしく、酷評にもめげずに着実に技術と賛同者を獲得してきた。そうして今では、三年の中で一番「上手い」写真を撮ると定評を得ている。生命力を旺盛に発散させている草木と、今まさに朽ちていこうとしている故郷の組み合わせは、タイラにとってはきっと心を引きつけられる構図なのだろう。
「なるほどね……」
 もう一度そう呟きながら、しかし私は戸惑っていた。実のところ、私はタイラの好むような写真は苦手である。見方によって印象が変わったり、構図がどうとか露出がどうとかいう小難しい世界は、正直いって私は好きでない。
 私はスナップ専門。街を歩いてる親子連れやカップルを捕まえて写真を撮るのが、趣味と実益を兼ねた私のテーマである。小難しい写真よりも、恋人が肩を並べて微笑む姿の方が余程分かりやすくてハッピーってもんじゃなかろうか。
 とりわけ私の好きなのは、恥ずかしがるカップルを拝み倒してようやくファインダーに収めた時に見える、照れ混じりの笑顔。顔を真っ赤にして首をすくめて、そんでもって隣の恋人をちらりと見やったりするときの、あの表情がたまらない。もうこれは、子供から老人まで、ほとんど万人の心を暖めるチカラがあると思う。一般投票では絶大な支持を誇り続ける、私の実績がそれを物語っている。
 余談ではあるが、そんな私の愛機はニコンのCOOLPIX……つまりデジカメ。部の関係者で初対面の人にはほとんど例外なくギョッとされるのだけれど、ポートレートしか撮らない私には実のところ、これで十分なのである。レタッチソフトで修正も効くし、何よりフィルムと現像液が不要なので安上がりなのがありがたい。下手な鉄砲方式の私には、うってつけの相棒ってわけだ。
 まぁそんなわけで、そういう私が目の前の光景をファインダーに収めてみても
「……つまんない」
 そう、ここには人がいないのだ。タイラがいたらさぞかし喜び勇んでシャッター切るんだろうなぁ、という漠然とした印象はあるものの、そういうポイントで適当に撮影してみても、ディスプレイに映るのは何の変哲もない風景写真だった。試しに白黒やセピア調に変換してみたのだけど、それでも陳腐さは隠しきれない。
「……なるほど、構図とか露出とかって大切なのねぇ……」
 思わずそんな素人以下の感慨を口にして、私はクツクツと沸き上がる笑いを抑えきれなくなった。
 「何を今更……」と憮然と呟くタイラの声と表情が、ものすごくリアルに想像できてしまったからだ。



 そのまま、なんとなしに写真を撮りながらてくてくと歩を進め、私は生家に辿り着いた。雑草に覆われて朽ちかけた姿は、さすがに私の郷愁をかき立てた。おそるおそる玄関の扉を開けてみる。土埃と蔦草にまみれた薄暗い屋内を一瞥し、慌てて私はそこから離れた。自分が全てに捨て去られたような、そんないわれのない感情に襲われて理由も無く泣いてしまいそうになったからだ。
「危ない危ない……」
 意味も分からずそんなことを呟き、家から遠ざかった。
 そのまま心の向くままにぶらぶら道を辿っていった。昔の習慣というのか体が憶えているというのだろうか、気付けば私は小学校への通学路を辿っていた。
「折角だから見ていきますか……」
 誰に言うとなしに呟き、当時の歩幅を思い出しながらゆっくり歩いていった。
 当時ガキ大将だった私は、近所の子供を連れ立って登下校する役を仰せつかっていた。同級生や下級生を引き連れて闊歩するのは、当時の私にはとても誇らしく楽しい行事だった。
 その風景の中には、黄色い帽子を被った、一つ年下の小さなタイラも含まれている。
「ふふふ……」
 思わず笑いがこぼれた。あの頃のタイラは素直で可愛かったなぁ、とか思う。ちっちゃくて、何するにも必死で、嘘が付けなくて……。
 あの頃から私はずっと、奴のことを「タイラ」と名前で呼んでいた。一方奴は、私が小学校を卒業するまで「りつ姉ちゃん」と呼んで慕ってくれていたのに、中学になると妙に大人ぶってただ「先輩」とだけ、高校に至っては呼びかけても無視される始末だ。
 そうしてさらに一年。私が一浪してやっとこさ入学した大学にしれっと現役合格を果たしたタイラが、「よろしく、リツ姉ぇ」不器用にそう呼んで笑ったことを憶えている。
「むぅ……」
 私は唸った。呼びかける名前だけは一回りして昔のものに戻ったものの、随分と憎らしく育ったものだ。
「お姉ちゃんはもう少し素直な子に育って欲しかったよ……」
 そんなことを呟きながら、後ろを振り返ってみる。そこに、赤面して黄色い帽子の中に顔を隠した小さなタイラを見たような気がして、私は一人クスクスと笑った。
 笑いが収まらないままで通学路を辿り、懐かしい校門を潜った。当時から随分と老朽化していたおんぼろ小学校で、そのおかげか、荒れ果てた校舎にもそれほど違和感を感じなかった。 渡り廊下を通り抜け、廊下を歩きながらゆっくりと教室を覗いて回った。 
 木製の頑丈一式な机と椅子が、使われることなく教室に並んでいる。黒板の文字はかすれ、最後に何が書かれてあったのか、もう判別がつかない。床には、誰が捨てていったのか、ぼろぼろになった教科書が風化しかけていた。
「ベタだけど、良い風景だよね……」
 カメラを構えてその風景を撮影する。何が私の琴線に触れたのだろうか、私好みではないはずのその風景を、夢中になって撮り続けた。
 足下に、こつんと何かが当たる感触があった。おや、と足下に視線を落とすと、そこには小さなプラスチックのカプセルが転がっていた。
「あら、これってもしかして……」
 しゃがみ込んでカプセルを拾い上げる。上下に振ってみると、カサカサと音がした。カプセルを開けて、中に入っていた紙を広げる。
 懐かしさに笑みがこぼれた。
『○◎☆△□※……,……』
「あは、まだこの遊び続いてたんだ……」
 それは、あの頃私たちの間で流行った遊びだった。
 確か、当時流行っていた忍者もののマンガの影響だったと思う。仲間内で取り決めた暗号文を用いて、他の子供や大人に分からないように連絡を取り合うという、それだけの遊びだ。もちろん当の本人達は大まじめであり、暗号の解読方法は何があっても漏らさないと真剣に誓い合ったものだった。
 紙に書かれた文を一文字ずつ繰り上げて配置し直してみる。
『よじはんに、れいのばしよにしゆうごう あきら』
「あはは、変換方法まで一緒だわ」
 「あきら」という名前に憶えがあった。確かそれは、私たちのグループに属していた仲間の弟だったはずだ。兄からそれを引き継ぎ、上級生となってまた下級生にそれを継承していったのかもしれない。そう思うと、なんだかくすぐったいような気持ちになった。
「そういえば、それでタイラと喧嘩になったことがあったっけ……」
 そんなことを思い出した。
 確か、私が小学校を卒業する少し前のことだったと思う。カプセルの隠し場所を誰に継承するか、という問題で私とタイラが対立したのだ。それは当時、ガキ大将であった私とその参謀役のタイラだけしか知らない場所で、私の卒業と共に副将格の五年生に引き継ぐはずのものだったのだが、何故かタイラは強固に反対した。結局最後にはタイラが押し切って、新しい隠し場所を作ってしまったのだが、そのことに私は随分腹を立てた記憶がある。
「もうタイラと暗号なんかやらない、タイラなんか大嫌い!」
 私は確かそう言って、カプセルを踏みつぶしたはずだ(我ながら乱暴な少女時代だったなぁ)。そのカプセルは私とタイラが随分と手間暇かけて装飾を施したもので、タイラが泣きそうになりながら私を睨んでいたことを思い出した。
「子供ってよく分からないことでムキになるのよねぇ……」
 私はひとごとのように呟いた。自分のことだったはずなのに、何故対立したのか、何がそれほどまでに大切だったのか、いまいちピンとこない。結局その喧嘩が後を引いて、卒業までタイラと口をきかなかったはずだから、子供の執念もなかなかどうして、大したものだ……もっとも、中学に入ってそんなことすっかり忘れていたけれど。
 そのことが懐かしく、私は裏山に向かった。そこに一本、一際大きなケヤキの木が立っていて、そこから右へ三本目のクヌギの木の洞に、ブリキの菓子箱を埋めていたはずだ。
 わさわさと生い茂る草をかき分けて、私はそこに辿り着いた。この一帯は山の北側で日が差さず、木の根本は比較的草が少ない。
 途中拾った木の枝で、がりがりと洞の土をかき分ける。しばらくすると、見覚えのあるブリキ板が顔を覗かせた。懐かしさに顔をほころばせながら蓋を持ち上げ――
「……あれ?」
 その中にカプセルを見つけ、私は目をしばたかせた。ここはあの一件以来、使わなかったはずだけれど。
 カプセルを拾い上げてみる。そこに施された装飾は、私が捨てた当時のものによく似ていた。幾分稚拙なそれはどうやら、当時のものを模倣したものらしい。訝しがりながらも、私はカプセルを上下に振ってみた。カサカサと音がして、中身の存在を主張していた。
「タイラ、なのかな?」
 呟きながら私はカプセルの中から紙片を取りだした。
 そこには小学生の拙い文字で、こう書いてあった。
『仲直りしませんか、僕はりつ姉ちゃんのことが好きです 平』
 私の顔がぼっと火を噴いたのが分かった。
 その瞬間目に浮かんだのが、小さなタイラでなくて、照れ笑いを浮かべた大学生のタイラだったから。
「うわ……やばい、これって結構不意打ちかも」
 私は誰に言うでなしに呟いた。木の葉がクスクスと鳴って、赤面した私をからかってるようだった。



 火照った顔はなかなか収まらず、私は今、教室の机に突っ伏してクールダウン中である。落ち着いたかなと思うたびに、リュックに放り込んだカプセルとその中身が思い出してしまい、再び発火。
「あーもう!」
なんて叫びながら手足をじたばたさせてみたりする。帰りのバスまでもう時間も無いというのに、どうしてくれようこの乙女心。
 しばらく挙動不審に暴れていたが、ふと素敵な悪戯を思いついた。
 リュックからカプセルを取り出し、中身を黒板に貼り付けて、カメラを構えた。
 「撮影旅行の成果」の一番最後に、B5に引き延ばしたこの写真を混ぜてタイラに突きつけてやろう……その時のタイラの顔を想像し、にやにや笑いながらフレーム一杯に収めて一枚、ぱちり。
 次に、液晶画面をひねり、机の上にカメラを固定する。こうして写りを確認しながら自分の写真がとれるのも、デジカメならではの利点だ。
 リモコン片手に黒板に向かい、九年越しのラブレターに顔を添えてピースサイン。
(さぁて、この不意打ちの責任、どう取ってもらおうかな……)
 そんな事を考えながら、レンズを覗き込む。

 液晶画面に映った私の顔が、私の好きな写真の、私の好きなあの表情で笑っている。






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